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ダマスカスの賢者
2話 二
ダマスカスの賢者(鈴木三重吉の作品)第2話 「二」を今すぐ読もう!チャット形式小説投稿サイトBookChat
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話がかはつて、王さまのお倉をあらしたどろぼうの頭《かしら》は、王さまが墓場の賢者イドリスに命じてじぶんたちをさがしにかゝつてゐるといふうはさを聞きこみました。

それで、びつくりして、その晩手下の一人に向ひ、

泥棒の頭

「おまへは、これからイドリスの家《うち》へ出かけて、イドリスが何を言つてるか聞いて来い。あいつの言つたとほりの言葉を、そのまゝおれに話すのだぞ。」

と言ひつけました。

手下の泥棒は、さつそくかけつけました。

そしてイドリスのうちの戸のかげに立つて、じつと耳をすましてゐますと、間もなくイドリスは、おかみさんに向つて、

イドリス

「おい、そのくるみを一つよこせ。」

と言ひました。どろぼうの手下は、そつと戸の鍵穴《かぎあな》からのぞいて見ますと、イドリスは、そのくるみを、かちんとたゝきわつて、こちらの鍵穴の方を見つめながら、

イドリス

「四十の一つだ。」

と言ひ/\食べ出しました。どろぼうの手下は、青くなつてかへつて来ました。そして頭に向つて、

手下

「わたしが鍵穴からのぞいてゐますと、イドリスは私の方を見て、四十の一つだと言ひました。」

と話しました。頭はびつくりして、そのあくる晩は、ほかの二人の手下に、イドリスが何を言つてるか聞いて来いと言つて出しました。

こんどは人をちがへて、そして、いふことがうそでないやうにわざ/\二人のものをやつたわけです。

その二人が、やはり鍵穴からのぞいてゐますと、イドリスはおかみさんに、

イドリス

「そのくるみを一つよこせ。」

と言つて、それをわり、

イドリス

「えへん、四十の二つだ。」

と言ひ/\鍵穴の方を見ました。

泥棒の頭はそれを聞くと、いよ/\心配になりました。

それであくる晩はまたちがつた三人のものを立ち聞きにやりますと、イドリスはやはりくるみを一つわりながら、

イドリス

「あゝァ、四十の三つか。」

と言ひ/\戸の方を見ました。

どろぼうの頭は、これではもうだめだと、がつかりしました。

泥棒の頭

「イドリスは、おれたちのしたことを、ちやんと見ぬいてゐるよ。」

頭はみんなにかう言つて、そのあくる晩、三十六人の手下と一しよに、イドリスの家《うち》へ出かけました。そして、おそる/\地びたにすわつて、

泥棒の頭

「どうぞイドリスさま、私《わたし》どもの名まへだけは、どこまでもかくしとほして下さいまし。

泥棒の頭

そのかはり、王さまのお倉から盗み出しましたものは、そつくりそのまゝ、一と品ものこらずおかへし申します。

泥棒の頭

それは、これ/\かういふ空地にうめて、その上に、白い石が目じるしにおいてあります。」

と白状して、平つたくなつてあやまりました。

イドリスは、それこそ夢ではないかと、びつくりしました。しかし、うはべでは、あくまで賢者らしい顔をして、

イドリス

「よし/\、よく自白をした。それでは、おまへたちの命をたすけるために、名まへだけは言はないでおいてやらう。

イドリス

だが、ほり出して見て、一と品でも不足してゐたら、ようしやなく、おまへたち四十人をのこらずしばり上げるぞ。」

と、おどしつけてかへしました。

イドリスはあくる朝さつそく王さまのところへ出かけて、盗難のお品は、一つのこらず、これこれかういふところにかくしてあるやうに思はれます、すぐにほつて見て下さいましと言ひました。

役人たちは、出たものをすつかりつんで来るために、馬を三十頭も用意して出かけました。

そしてイドリスの言葉どほり、盗まれた品々を一つもかゝさず、みんなとりかへしました。

王さまは、びつくりして喜んで、イドリスには、馬一頭へ銀貨をつめるだけつませて、それをごほうびにくれました。

イドリスのおかみさんは、そのたいそうな下されものを見ると、とび上つてよろこびました。

おかみさん

「ごらんなさい。神さまはやはり、はたらくものをおたすけになるのです。みんなもとをいふと、あなたがあたしのいふことを聞いて、墓場へはたらきに出たからですよ。

おかみさん

だから金の指輪も手にはいり、しまひには、こんなたいそうなお金持になつたのです。」

と、得意になつて、はしやぎたてました。

しかしイドリスは、なほ/\気が気ではなくなりました。こんどまた王さまから何をかさがせといはれたらいよ/\命がなくなるわけです。

なくなつたりしたものが、二どゝ、あんなにすら/\出て来るはずもありません。

王さまは、それからは、よくイドリスをよんで、ごちそうをしたり、イドリスをおともにつれていろ/\のところへ出かけたりしました。

町中のものはイドリスのことを、この上なく、うらやましく思ひました。

けれどもイドリスは、王さまからさわいでいたゞけばいたゞくほど、よけいに命がちゞまるやうな気がして、寝てもさめても苦痛でたまりませんでした。

ある日王さまは、イドリスをつれて、町の郊外へ出かけました。王さまは、そこの大浴場で一しよに湯あみをしようと言ひ出しました。

しかしイドリスは、そればかりはおゆるし下さいまし、いくら何でも王さまと一つのお湯へはいるのは、もつたいないかぎりですと言つて、かたくおことわりしました。

それで王さまは、仕方なく一人で浴場へはいりました。

イドリスはその間に、家《うち》へかへつてお湯をわかさせました。

お湯にはいつてゐても、イドリスはじぶんが王さまから、何でも見とほす力があるやうに思はれてゐる、その苦しさを考へつゞけ、どうかして、上手に王さまの手からはなれる工夫はないものかと思案しました。

ふと見ると、頭一ぱいに、シャボンのあわをつけた、じぶんのすがたが、そばの鏡にうつつてゐます。

そのときイドリスは、ふと、さうだ、おれは気ちがひになつたことにしよう、それがいゝ、このシャボンだらけの頭をして、すつぱだかで町の中をかけて歩けば、だれだつて、おれのことを気がちがつたと思ふにさうゐない、

それで、王さまが湯あみをしてゐられるところへかけこんで、いきなり王さまのおひげでもつかんで表まで引きずり出し、もうこれから、わしをよびつけないやうにちかはせるのが一とうだ。

イドリスはかう思ひつくなり、そのまゝはだかでとび出しました。

そして、さつきの浴場へかけつけて、家来をつきとばして、王さまのはいつてゐられる浴室へをどりこみ、王さまの口ひげを引ッつかんで、はだかのまゝを、むりやりに庭へ引きずり出しました。

と思ふとたんに、古ぼけて、こはれかけてゐたその浴場の建物が、ふいに、どゞゞん、がら/\がらとくづれおちて、中にゐたものは、あつといふ間もなく一人ものこらず死んでしまひました。

イドリスは、そのとッさに、気ちがひになるよりも、もつといゝことを思ひつきました。

イドリス

「ごめん下さい、王さま。ぐづ/\してゐると、お命があぶないので、私もこのとほり、着物も着ないでとんでまゐりましたのです。

イドリス

私は家《うち》へかへつて湯をあびてゐました。すると私の魔術の手鏡が大声をあげてよぶではありませんか。

イドリス

私が何の秘密でもさぐり出し、さきのことまで見ぬくのはじつはみんな、その小さな手鏡に聞くのです。

イドリス

鏡は、大変だ/\、早く王さまを浴場の外へお引き出しせよ、くづれる/\、屋根がくづれる、といふもんですから、一生けんめいにとんでまゐりましたわけです。」

王さま

「ほゝう、さうだつたか。おかげで、おれもあやふく命をひろつた。あゝあぶなかつたね。おまへが一分間でもおくれたら、おれはりつぱに死骸《しがい》になつてゐるところだ。」

イドリス

「まつたく、私といたしましても、こんなうれしいことはございません。しかし陛下、それと一しよに、私は最早《もはや》、たゞのつまらない人間になつてしまひました。

イドリス

あんまりあわてゝとび出すはずみに、あの、かけがへのない魔術の鏡を下へおつことして、粉みじんにくだいてしまひました。」

かう言つて、ざんねんがりますと、王さまも、それはとんだことをしたものだと、じぶんのことのやうにをしみなげきました。

これでイドリスはやつと心配も苦しみもなくなりました。

それからは、もう王さまから、および出しも来ず、おかみさんと二人で、れいのごほうびにいたゞいたお金で、一生らく/\とくらしました。