0
ダマスカスの賢者
1話 一
ダマスカスの賢者(鈴木三重吉の作品)第1話 「一」を今すぐ読もう!チャット形式小説投稿サイトBookChat
無料読者登録しませんか? 読者登録すると読んでいる小説を途中から読み始められます!

むかし、ダマスカスといふ町に、イドリスといふなまけものがゐました。

貧乏なくせに、はたらくことがきらひなのですからたまりません。

或《ある》とき、もういよ/\食べるものもなくなり、売りはらふものと言つたつて、ぼろッきれ一つさへないはめになりました。おかみさんは、

おかみさん

「これではもう二人でかつゑて死ぬばかりです。後生だから、どうぞ今日からお金をもうけに出て下さい。」

と、泣いてたのみました。

イドリス

「お金をもうけるつて、一たい、どうすればいゝんだい。わしは、これまで商ばいをしたこともないし、てんであてがつかないよ。」

と、イドリスは、生あくびをしながらかう言つて、長いあごひげをしごいてゐました。

おかみさん

「では、ためしに私《わたし》のいふとほりをしてごらんなさい。たゞお墓場へ出かけて、おまゐりの人が来るたんびに、口の中でおいのりをしてゐればいゝのです。さうすれば、女の人なぞは、きつとお金をくれます。これならあんたにも出来るでせう。」

と、おかみさんは言ひました。

イドリスはいちんち考へこんでゐましたが、あくる朝になると、しぶ/\お墓場へ出ていきました。

いつて、おかみさんが言つたとほりにして見ますと、なるほど、お墓まゐりに来た女の人たちが少しづゝお金をくれていきます。

イドリスは、これなら、わしにはもつて来いの仕事だと、ほゝ笑んで、それからは、まいにち出て来ては、もぐ/\とお祈りを上げるまねをしてゐました。

人々は、イドリスの、あごをうづめた長いひげや、たえず一しんにいのつてゐるすがたを見て、これは、とても信仰ぶかい、えらい人にちがひないと話し合ひました。

しまひには、うはさに尾ひれがついて、あの人は、どんなことでもしつてゐるえらい賢者で、人の秘密でもすぐに見ぬいて言ひあてる、とてもふしぎな人だと、じぶんがためされたやうに言ひふらすものさへ出て来ました。

或とき、イドリスは、いつものやうに墓場へ出かけるとちう、町の中をとぼ/\歩いてゐますと靴《くつ》のそこへくぎが出つぱつて来たと見えて、足の先がいたくてたまらなくなりました。

それで或金細工師の店のまへにたちどまつて、その片方の靴をぬいで、中をのぞいて見ました。

そのときその店先には、王さまが、おしのびで、一人のおともをつれて、金の指輪をなほさせに来てゐました。

金細工師は、その指輪を左手の人さし指の先にかけて、なほすところを見てゐました。

するとどうしたはずみか、指をぴよいと動かしたひようしに、指輪がぽんとどこかへとんでしまひました。

指輪は、ちようどイドリスがのぞきこんでゐる靴の中へ、ひよこりとはいつたのですが、金細工師は、それとは気がつかないので、びつくりして、店中をさがしまはりました。

イドリスは、ほゝう、これはいゝものがとんで来た。ほう、すばらしい宝石がはまつてゐると、にこ/\して、あたりを見まはしました。

さいはひ、だれもかんづかないので、そのまゝ、指輪のはいつた靴をはいて、大急ぎで、じぶんの家《うち》へ引きかへしました。

王さまには、それが何ものにもかへられない、だいじな指輪だつたので、たちまちおほさわぎになりました。

王さまはおこつてどなりつけます。

みんなは血眼になつて、通中をさがしまはりました。しかし、むろん、その指輪が出て来るはずもありません。

王さまは、それは/\くやしがつて、町中のありとあらゆる占ひ師や、魔術つかひをめしよせて指輪のありどころを占はせたり、魔術で見とほしをつけさせようとあせりましたが、だれにも、さつぱりけんとうがつきませんでした。

すると一人の家来が、墓場の賢者のうはさを聞いて来て、これ/\かういふものがゐて、どんな秘密でも、すぐに言ひあてるさうですから、ためしに、その賢者に相談してごらんになつてはいかがでせうと言ひました。

そこで王さまは、すぐにイドリスをよびにやりました。

イドリスは、何だらうと思ひながら、こは/″\出向いて見ますと、これ/\で、金の指輪が金細工師の店先でなくなつた。

一つそのゆくへをあてゝ見ろといふ命令です。

イドリスは、はッと思ひました。

で、その指輪の形だの、ほりのもようなどをくはしく聞いて見ますと、それは、まさしく、じぶんの靴の中へとびこんだ、あの指輪です。そこで、

イドリス

「その指輪なら、夕方までおまち下さいませば、かならず私がさがし出してまゐります。」

と、うけ合ひました。

夕方になりますと、イドリスは、さも、じぶんがどこからか見つけ出して来たやうな顔をして、指輪をもつていきました。

王さまは大そうよろこんで、いろ/\とほうびの品ものを下さり、これから先も、こまつたことが出来わいたら、おまへにたのむぞと言つて、しきりにイドリスのふしぎな眼力をおほめになりました。

と、そのうちに、やつぱり王さまから、および出しが来ました。

それは、二三日前の晩に、王宮へ四十人のどろぼうがしのびこんで、お倉の一つの、だいじな宝物を、すつかり盗み出してしまつたのださうで、役人たちが火のやうになつて八方を調べても、犯人があがらない、それでイドリスに、その盗まれた品物のかくしてあるところを考へあてゝくれといふお話です。

イドリスは、こまつて顔をふせてゐました。王さまはつゞけて、

王さま

「では四十日間のいうよをあたへるから、かならず見つけ出してくれ。このくらゐのことは、おまへにとつては何でもあるまい。

王さま

だから、もし四十日たつても返答をしないと、それはおまへが、わざとわしをいぢめてこまらすものとみとめ、すぐにくびをはねてしまふから、そのつもりでゐろ。」

と言ひわたしました。

イドリスはまつ青《さを》になつてかへつて来ました。王さまのところへいつてどうしたのですと、おかみさんが聞き/\しても、イドリスは返事をさへしません。

イドリス

「えゝ、うるさい。おまへに言つたつてどうなるものでもない。盗賊が四十人ばかりで王さまのお倉の宝ものを盗み出したのだ。わしは、その品ものゝありかを、四十日間にさがし出さないと、首をとられてしまふのだ。」

イドリスは、しまひにかう言つて、ふかいため息をしました。

イドリスは、いくらなげいても、どうにも仕方がないので、しを/\市場へいつて、くるみを四十買つて来ました。そしておかみさんに向つて、

イドリス

「今晩から、このくるみを一つづゝくだいて食ふんだ。この四十のくるみがなくなる日には、わしの命もなくなるのだ。」

と、ぽろ/\涙をこぼしました。