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天才兄妹
4話 四
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香椎

「それ見ろ」

ヴァイオリンの胴を剥《はが》して、中を見ると、なめし革と膠《にかわ》で、胴裏に貼り付けたのは、夥《おびただ》しい宝石です。

一々胴裏から剥して、なめし革から出すと、五十カラット近い白色のダイヤが一つ、三十カラット程の、やや青色を帯びたのと、淡黄色を帯びたダイヤが一つずつ、五六カラットから、十カラット前後のが七つ、全部で十箇の見事なダイヤが、このヴァイオリンの胴の中に隠されてあるのでした。

香椎

「オウ、これは何《ど》うだ、これだけ入って居れば、ヴァイオリンの音も悪くなるわけだ」

幾久雄

「ウーム」

香椎

「大変な事になったネ、このダイヤは何百万円の値打があるか知らないが、兎に角、我々では、見当もつかない大身代だぜ、これだけあれば、ストラドヴァリウスは百も買えるだろう、君はたった一と晩で夢のような大富豪になったんだ。お目出度う——」

香椎六郎はこう言って剽軽《ひょうきん》なお辞儀をしました。

幾久雄

「だけれど、ストラドヴァリウスはどうしたんだ、昨日まで確かに真物《ほんもの》だったんだが——」

幾久雄はまだあきらめ切れません。

香椎

「馬鹿だなア、そんなものは諦めてしまいたまえ、ストラドヴァリウスなんか、百も買えると言ったじゃないか」

幾久雄

「だが、あれは何《ど》うするんだ今日の演奏は、あれ、あの通り」

客席からは、開幕を促す拍手が、一分|毎《ごと》に激しくなるばかり、

香椎

「仕様が無いなア、入場料を払い戻して、帰って貰えばいいじゃないか」

幾久雄

「そんな事は出来ない、そんな事は——」

幾久雄の心は、永久に失われた名器ストラドヴァリウスを追って、この何百万円にも積られる、見事な十箇の宝石も眼には入りませんでした。

信子

「お兄様、お兄様」

信子だけが、この兄の心持を知って居るのでしょう。宝石よりも貴い涙が、尚《な》おもその頬を、際限もなく濡らして居ります。