0
人間レコード
4話 人間レコード -4
人間レコード(夢野久作の作品)第4話 「人間レコード -4」を今すぐ読もう!チャット形式小説投稿サイトBookChat
無料読者登録しませんか? 読者登録すると読んでいる小説を途中から読み始められます!
人間レコード

「号外号外。号外号外。号外号外。東都日報号外。吾外務当局の重大声明。ソビエット政府に対する重大抗議の内容。外交断絶の第一工作……号外号外」

人間レコード

「号外号外。売国奴古川某の捕縛号外。ソビエット連絡係逮捕の号外。号外号外。夕刊電報号外号外」

この二枚の号外を応接室の椅子の中で事務員の手から受取った東京|駐箚《ちゅうさつ》××大使は俄然《がぜん》として色を失った。

やおらモーニングの巨体を起して眼の前の安楽椅子に旅行服のままかしこまっている弱々しい禿頭《とくとう》の老人の眼の前にその号外を突付けた。

老人は受取って眼鏡をかけた。ショボショボと椅子の中に縮み込んで読み終ったが、キョトンとして巨大な大使の顔を見上げた。

その顔を見下した××大使は見る見る鬼のような顔になった。イキナリ老人にピストルを突付けて威丈高になった。ハッキリとしたモスコー語で云った。

××大使

「どこかで喋舌《しゃべ》ったナ。メッセージの内容を……」

老人は椅子から飛上った。ピストルを持つ毛ムクジャラの大使の腕に両手で縋《すが》り付いて喚《わ》めいた。

人間レコード

「ト……飛んでもない。わ……私は人間レコードです。ど……どうしてメッセージの内容を……知っておりましょう」

××大使

「黙れ。知っていたに違いない。それを知らぬふりをして日本に売ったに違いない。タッタ一人残っている日本人の連絡係の名前と一緒に……」

人間レコード

「ワッ……」

と云うなり老人は宙を飛んで扉《ドア》の方へ逃げ出したが、その両手がまだ扉《ドア》へ触れない中《うち》に高く空間に揚がった。

キリキリと二三回回転して床の上に倒れた。扉《ドア》の表面に赤い血の火花を焦げ附かしたまま……。

その扉《ドア》が向うから開《あ》いて大使夫人が半分顔を出した。

モジャモジャした金髪の下から青い瞳と、真赤な唇をポカンと開いて見せた。

大使は慌ててまだ煙の出ているピストルを尻のポケットに押込んだ。

大使夫人

「まあ。どうしたの。アンタ」

××大使

「ナアニ。レコードを一枚壊したダケだよ。ハッハッハ」

ちょうどその頃、東京駅入口階上の食堂の片隅で、若い海軍軍医と中学生が紅茶を啜っていた。

ゴチャゴチャと出入りする人の足音や、皿小鉢の触れ合う音に紛れて二人は仲よく囁《ささや》き合っているが、よく見ると、それは昨夜《ゆうべ》の富士列車に居た青年ボーイと少年ボーイであった。

少年

「馬鹿に早く手をまわしたもんですね」

青年

「ナアニ。昨夜《ゆうべ》の録音フイルムが、徳山から海軍飛行機に乗って大阪まで飛んで行く中《うち》に現像されると、そのまま夜の明けない中《うち》に東京に着いたんだよ。

青年

あの録音の後《あと》の方に在った英国、露西亜《ロシア》、支那の三国密約の内容を聞いたので外務省が初めて決心が出来たんだ。

青年

大ビラで売国奴の名を付けて古川某を引括《ひっくく》る事が出来たんだ。みんな予定の行動だったのだよ。

青年

徳山と岡山と、広島と姫路にはそれぞれ水上飛行機が待機していたんだよ。今頃はモウ露満国境の守備兵が動き出しているだろう」

中学生が光栄に酔うたように顔を真赤にして紅茶を啜った。

青年

「君の発明したオモチャが大した働きをした訳だよ。勲章ぐらいじゃないと思うね」

少年

「……でも僕は気味が悪かったですよ。途中で怖くなっちゃったんです。あの人間レコードの声を聞いた時に……人間レコードって一体何ですかアレは……」

海軍軍医は左右を見まわした。一段と少年に顔を近付けて紅茶の皿を抱え込んだ。

青年

「イイかい。絶対秘密だよ」

少年

「大丈夫です」

青年

「わかってみれば何でもない話だがね。つまりアンナ風な各国語に通じた正直な人間を高価《たか》い金でレコード用に雇っておいて、極めて重要なメッセージを送る場合に使うんだ。

青年

書類なんかイクラ隠したって見付かるし、暗号だって解けない暗号はないんだからね。

青年

本人に暗記さしておけばいいようなもんだが、日本人と違って外国人は買収が利くんだから、つまるところ、密書を持たせるよりも険難《けんのん》な事になるんだ。

青年

ことに露西亜《ロシア》なんかは世界中が敵で、秘密外交の必要な度合が一番高いもんだからトウトウアンナ事を発明したんだね。

青年

先ずアンナ風に何も知らない人間を、昨夜《ゆんべ》みたいに麻酔さしておいて、スコポラミンと阿片《アヘン》の合剤を注射して、一層深い、奇妙な、変ダラケの昏睡に陥《おとしい》れる。

青年

それから十分ばかりしてコカインと、安息香酸と、アイヌの矢尻に使うブシという草の汁のアルカロイドの少量を配合した液を注射すると、本人は意識しないまま、脳髄の中の或る一部分が眼ざめる。

青年

そこへ電気吹込みしたレコードの文句を……ドウも肉声では工合が悪いようだがね。そのレコードの音《おん》を耳に当てがうと不思議なほどハッキリと記憶する。

青年

十枚分ぐらいは楽に這入るもんだがね。それから本人が眼をさますと、ただ頭が痛いばっかりで何一つ記憶していない。

青年

イクラ拷問されても、買収されても白状する事がないのだから、どこへ送っても秘密の洩れる心配がない……という事になるんだ。

青年

ところがその人間レコードを向うへ着いてから前の順序で麻酔させて、コカインを一筒注射すると、前に云った脳髄のどこかの一部分が眼を醒ますんだね。

青年

最近に聞いたレコードの文句を夢うつつにハッキリと繰返す事実が、モウ東京の大学で実験済みなんだ」

少年

「ヘエ。その薬を貴方が発明したんですか」

青年

「発明なんか出来るもんじゃない。盗んだんだよ。ペトログラードのネバ河口に在る信号所の地下室にこの人間レコード製造所が在ることを日本の機密局では大戦以前から知っていて、苦心惨憺して、その遣り方を盗んでおいたんだ。

青年

ところが露国は今まで、日本に対してだけこの手段を使ったことがない。つまり取っときにしといたのを今度初めて使いやがったんだ。一番重大なメッセージだからね」

少年

「何故取っときにしたんでしょう」

青年

「日本の医学は世界一だからね。怖かったんだよ。その上に人間レコードに度々なる奴は、なればなる程、注射がよく利いて、レコードの作用がハッキリなる代りに、薬の中毒で妙な顔色になって瘠せ衰えるんだ。気を付けていると直ぐに普通の人間と見分けが付くんだ」

少年

「つまりアノ爺《じじい》みたいになるんですね」

青年

「そうだよ。永い事、和蘭《オランダ》に居た若島中将閣下は哈爾賓《ハルピン》から飛行機で来たあの爺《じじい》の写真を見ただけで、テッキリ人間レコードということがわかったという位だからね」

少年

「若島中将……誰ですか。若島中将って……」

青年

「日本の機密局長さ。支那服を着た立派な人だがね。僕等の親玉なんだ。君を海軍兵学校に入れてやるというのはその人さ……」

中学生は今一度真赤になった。

少年

「でもあの小ちゃな爺さんは気の毒ですね」

青年

「気の毒ぐらいじゃない。きょうの号外を見たら××大使に殺されやしまいかと思うんだがね。裏切者という疑いで……」

少年

「エッ。殺されるんですか。何も知らないのに……」

青年

「殺されるとも。ソビエットの唯物主義の奴等は血も涙もないんだからね。政治外交上の問題で少しでも疑わしい奴は片《かた》っ端《ぱし》から殺して行くのが奴等の方針だよ」

少年

「残酷ですなあ」

青年

「ナアニ。レコードを一枚壊すくらいにしか思ってやしないだろう。ハハハ」