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真田幸村
6話 東西和睦
真田幸村(菊池寛の作品)第6話 「東西和睦」を今すぐ読もう!チャット形式小説投稿サイトBookChat
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和平が成立した時、真田は、後藤又兵衛とともに、関東よりの停戦交渉は、全くの謀略なることを力説し、秀頼公の御許容あるべからずと言ったのだが、例によって、大野、渡辺等の容るる所とならなかったわけである。

幸村は、偶々《たまたま》越前少将忠直卿の臣原|隼人貞胤《はやとさだたね》と、互に武田家にありし時代の旧友であったので、一日、彼を招じて、もてなした。

酒盃|数献《すうこん》の後、幸村小鼓を取出し、自らこれを打って、一子大助に曲舞《くせまい》数番舞わせて興を尽した。

この時、幸村申すことに

幸村

「この度の御和睦も一旦のことなり。終《つい》には弓箭《きゅうせん》に罷成《まかりな》るべくと存ずれば、幸村父子は一両年の内には討死とこそ思い定めたれ」

と言って、床の間を指し

幸村

「あれに見ゆる鹿の抱角《かかえづの》打ったる冑は真田家に伝えたる物とて、父安房守譲り与えて候、重ねての軍《いくさ》には必ず着して打死仕らん。見置きてたまわり候え」

と云った。

それから、庭に出て、白河原毛《しろかわらげ》なる馬の逞しきに、六文銭を金もて摺《す》りたる鞍を置かせ、ゆらりと打跨り、五六度乗まわして、原に見せ、

幸村

「此の次ぎは、城|壊《こわ》れたれば、平場《ひらば》の戦《いくさ》なるべし。われ天王寺表へ乗出し、この馬の息続かん程は、戦って討死せんと思うにつけ、一入《ひとしお》秘蔵のものに候」

と言って、馬より下り、それから更らに酒宴を続け、夜半に至って、この旧友たちは、名残を惜しみつつ分れた。

果して、翌年、幸村は、この冑を被りこの馬に乗って、討死した。

また、この和睦の成った時、幸村の築いた真田丸も壊されることになった。

この破壊工事の奉行に、本多|正純《まさずみ》がやって来て、おのれの手で取壊そうとしたので、幸村大いに怒り抗議を申込んだ。

が、正純も中々引退らぬ。

両者が互いにいがみあっている由がやがて家康の耳に入った。すると、家康は

家康

「幸村が申条|理《ことわり》也、正純心得違也」

と、早速判決を下して、幸村に、自分の手で勝手に取壊すことを許した。

この辺り、家康大に寛仁の度を示して、飽迄《あくまで》幸村の心を関東に惹《ひ》かんものと試みたのかも知れない。

が幸村は、全く無頓着に、自分の人夫を使って、地形までも跡方もなく削り取り、昌幸伝授の秘法の跡をとどめなかった。