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真田幸村
5話 家康の勧誘
真田幸村(菊池寛の作品)第5話 「家康の勧誘」を今すぐ読もう!チャット形式小説投稿サイトBookChat
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真田丸の砦は、冬の陣中、遂に破られなかった。

媾和になってから家康は、幸村を勧誘せんとし、幸村の叔父隠岐守|信尹《のぶただ》を使として「信州にて三万石をやるから」と言って、味方になることを、勧めさせた。

幸村は、出丸の外に、叔父信尹を迎えて、絶えて久しい対面をしたが、徳川家に附く事だけはきっぱり断った。

信尹はやむなく引返して、家康にその由を伝えると、家康は

家康

「では信濃一国を宛行《あておこな》わん間|如何《いか》にと重ねて尋ねて参れ」

と言った。信尹、再び幸村に対面してかく言うと、

幸村

「信濃一国は申すに及ばず、天下に天下を添えて賜るとも、秀頼公に背《そむ》きて不義は仕《つかまつ》らじ。重ねてかかる使をせられなば存ずる旨あり」

と、断平として言って、追返した。

『常山紀談』の著者などは、この場合、幸村がかくも豊臣家のために義理を立通そうとしたのは、必ずしも、道にかなえり、とは言うべからずと言っている。

「豊臣家は真田数世の君に非ず、若し、君に不背《そむかず》の義を論ぜば、武田家亡びて後世をすてゝ山中にかくれずばいかにかあるべき」など評している。

が、幸村としてみれば、豊臣家には父昌幸以来の恩義があると共に、徳川家に対しては、前に書いておいた如く、矢張り父昌幸以来のいろいろの意地が重なっているのである。

でないとした所が、今になって武士たるものが、心を動かすべき筈はないのである。

豊臣家譜代の連中が、関東方に附いて城攻に加っているのに、譜代の臣でもない幸村が、断乎《だんこ》大阪方に殉じているなど会心の事ではないか。

なお、これは余談だが、大阪方についた譜代の臣の中で片桐且元など殊にいけない。

坪内逍遙博士の『桐一葉』など見ると、且元という人物は極めて深謀遠慮の士で、秀吉亡き後の東西の感情融和に、反間苦肉の策をめぐらしていたように書いてあるが、嘘である。

『駿府記』など見ると、且元、秀頼の勘気に触れて、大阪城退出後、京都二条の家康の陣屋にまかり出で、御前で、藤堂高虎と大阪|攻口《せめぐち》を絵図をもって、謀議したりしている。

また、冬の陣の当初、大阪方が堺に押し寄せた時、且元、手兵を派して、堺を助け、大御所への忠節を見せた、など『本光国師日記』に見えている。

且元のこうした忌《いまわ》しい行動は、当時の心ある大阪の民衆に極度の反感を起さしめた。

何某《なにがし》といえる侠客の徒輩が、遂に立って且元を襲い、その兵百人ばかりを殺害したという話がある。

且元、後にこれを家康に訴え、その侠客を制裁してくれと頼んだが、家康は笑って応じなかった。

当時の且元が、大阪びいきの連中に、いかように思われていたかが分るわけである。

『桐一葉』に依って且元が忠臣らしく、伝えられるなど、甚だ心外だが、今に歌右衛門でも死ねば、誰も演《や》るものがないからいいようなものの。