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真田幸村
3話 大阪入城
真田幸村(菊池寛の作品)第3話 「大阪入城」を今すぐ読もう!チャット形式小説投稿サイトBookChat
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関ヶ原の戦後、昌幸父子は、高野山の麓《ふもと》九度|禿《かむろ》の宿《しゅく》に引退す。この時、発明した内職が、真田紐であると云うが……昌幸六十七歳にて死す。昌幸死に臨み、

昌幸

わが死後三年にして必ず、東西手切れとならん、我生きてあらば、相当の自信があるが

と云って嗟嘆した。幸村、

幸村

ぜひその策を教えて置いてくれ

と云った。昌幸曰く

昌幸

策を教えて置くのは易いが、汝は我ほどの声望がないから、策があっても行われないだろう

と云った。幸村是非にと云うたので、昌幸曰く

昌幸

「東西手切れとならば、軍勢を率いて先ず美野《みの》青野ヶ原で敵を迎えるのだ。しかし、それは東軍と決戦するのではなく、かるくあしらって、瀬田へ引き取るのだ。そこでも、四五日を支えることが出来るだろう。

昌幸

かくすれば真田安房守こそ東軍を支えたと云う噂が天下に伝り、太閤恩顧の大名で、大阪方へ附くものが出来るだろう。しかし、この策は、自分が生きていたれば、出来るので、汝は武略我に劣らずと云えども、声望が足りないからこの策が行われないだろう」

と云った。後年幸村大阪に入城し、冬の陣の時、城を出で、東軍を迎撃すべきことを主張したが、遂に容れられなかった。昌幸の見通した通りであると云うのである。

大阪陣の起る前、秀頼よりの招状が幸村の所へ来た。徳川家の禄を食《は》みたくない以上、大阪に依って、事を成そうとするのは、幸村として止むを得ないところである。

秀頼への忠節と云うだけではなく、親譲りの意地でもあれば、武人としての夢も、多少はあったであろう。

真田大阪入城のデマが盛んに飛ぶので、紀州の領主浅野|長晟《ながあきら》は九度山附近の百姓に命じてひそかに警戒せしめていた。

所が、幸村、父昌幸の法事を営むとの触込みで、附近の名主大庄屋と云った連中を招待して、下戸上戸の区別なく酒を強《し》い、酔いつぶしてしまい、

その間に一家一門|予《かね》て用意したる支度甲斐甲斐しく百姓どもの乗り来れる馬に、いろいろの荷物をつけ、百人ばかりの同勢にて、槍、なぎ刀の鞘《さや》をはずし、鉄砲には火縄をつけ、紀伊川を渡り、大阪をさして出発した。

附近の百姓ども、あれよあれよと騒いだが、村々在々の顔役共は真田邸で酔いつぶれているので、どうすることも出来なかった。

浅野長晟之を聴いて、真田ほどの者を百姓どもに監視させたのは、此方の誤りであったと後悔した。

その辺、いかにも軍師らしくていいと思う。

大阪へ着くと、幸村は、只一人大野修理治長の所へ行った。

その頃、薙髪《ていはつ》していたので、伝心|月叟《げっそう》と名乗り、大峰の山伏であるが、祈祷《きとう》の巻物差しあげたいと云う。

折柄《おりから》修理不在で、番所の脇で待たされていたが、折柄十人|許《ばか》りで、刀脇差の目利きごっこをしていたが、一人の武士、幸村にも刀拝見と云う。

幸村山伏の犬おどしにて、お目にかけるものにてはなしと云って、差し出す。若き武士抜きて見れば、刃《やいば》の匂、金《かね》の光云うべくもあらず。

脇差も亦然り。とてもの事にと、中子《なかご》を見ると、刀は正宗、脇差は貞宗であった。唯者ならずと若武士ども騒いでいる所へ、治長帰って来て、真田であることが分ったと云う。

その後、幸村|彼《か》の若武士達に会い、刀のお目利きは上りたるやと云って戯れたと云う。