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牛をつないだ椿の木
2話 二
牛をつないだ椿の木(新美南吉の作品)第2話 「二」を今すぐ読もう!チャット形式小説投稿サイトBookChat
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海蔵《かいぞう》さんが人力曳《じんりきひ》きのたまり場《ば》へ来《く》ると、井戸掘《いどほ》りの新五郎《しんごろう》さんがいました。

人力曳《じんりきひ》きのたまり場《ば》といっても、村《むら》の街道《かいどう》にそった駄菓子屋《だがしや》のことでありました。

そこで井戸掘《いどほ》りの新五郎《しんごろう》さんは、油菓子《あぶらがし》をかじりながら、つまらぬ話《はなし》を大《おお》きな声《こえ》でしていました。

井戸《いど》の底《そこ》から、外《そと》にいる人《ひと》にむかって話《はなし》をするために、井戸新《いどしん》さんの声《こえ》が大《おお》きくなってしまったのであります。

海蔵

「井戸《いど》ってもなア、いったいいくらくらいで掘《ほ》れるもんかイ、井戸新《いどしん》さ。」

と、海蔵《かいぞう》さんは、じぶんも駄菓子箱《だがしばこ》から油菓子《あぶらがし》を一|本《ぽん》つまみだしながらききました。

井戸新《いどしん》さんは、人足《にんそく》がいくらいくら、井戸囲《いどがこ》いの土管《どかん》がいくらいくら、土管《どかん》のつぎめを埋《う》めるセメントがいくらと、こまかく説明《せつめい》して、

新五郎

「先《ま》ず、ふつうの井戸《いど》なら、三十|円《えん》もあればできるな。」

と、いいました。

海蔵

「ほオ、三十|円《えん》な。」

と、海蔵《かいぞう》さんは、眼《め》をまるくしました。それからしばらく、油菓子《あぶらがし》をぼりぼりかじっていましたが、

海蔵

「しんたのむねを下《お》りたところに掘《ほ》ったら、水《みず》が出《で》るだろうかなア。」

と、ききました。それは、利助《りすけ》さんが牛《うし》をつないだ椿《つばき》の木《き》のあたりのことでありました。

新五郎

「うん、あそこなら、出《で》ようて、前《まえ》の山《やま》で清水《しみず》が湧《わ》くくらいだから、あの下《した》なら水《みず》は出《で》ようが、あんなところへ井戸《いど》を掘《ほ》って何《なに》にするや。」

と、井戸新《いどしん》さんがききました。

海蔵

「うん、ちっとわけがあるだて。」

と、答《こた》えたきり、海蔵《かいぞう》さんはそのわけをいいませんでした。

海蔵《かいぞう》さんは、からの人力車《じんりきしゃ》をひきながら家《いえ》に帰《かえ》ってゆくとき、

海蔵

「三十|円《えん》な。……三十|円《えん》か。」

と、何度《なんど》もつぶやいたのでありました。

海蔵《かいぞう》さんは藪《やぶ》をうしろにした小《ちい》さい藁屋《わらや》に、年《とし》とったお母《かあ》さんと二人《ふたり》きりで住《す》んでいました。

二人《ふたり》は百姓仕事《ひゃくしょうしごと》をし、暇《ひま》なときには海蔵《かいぞう》さんが、人力車《じんりきしゃ》を曳《ひ》きに出《で》ていたのであります。

夕飯《ゆうはん》のときに二人《ふたり》は、その日《ひ》にあったことを話《はな》しあうのが、たのしみでありました。

年《とし》とったお母《かあ》さんは隣《となり》の鶏《にわとり》が今日《きょう》はじめて卵《たまご》をうんだが、それはおかしいくらい小《ちい》さかったこと、

背戸《せど》の柊《ひいらぎ》の木《き》に蜂《はち》が巣《す》をかけるつもりか、昨日《きのう》も今日《きょう》も様子《ようす》を見《み》に来《き》たが、

あんなところに蜂《はち》の巣《す》をかけられては、味噌部屋《みそべや》へ味噌《みそ》をとりにゆくときにあぶなくてしようがないということを話《はな》しました。

海蔵《かいぞう》さんは、水《みず》をのみにいっている間《あいだ》に利助《りすけ》さんの牛《うし》が椿《つばき》の葉《は》を喰《く》ってしまったことを話《はな》して、

海蔵

「あそこの道《みち》ばたに井戸《いど》があったら、いいだろにのオ。」

と、いいました。

海蔵の母

「そりゃ、道《みち》ばたにあったら、みんながたすかる。」

と、いって、お母《かあ》さんは、あの道《みち》の暑《あつ》い日盛《ひざか》りに通《とお》る人々《ひとびと》をかぞえあげました。

大野《おおの》の町《まち》から車《くるま》をひいて来《く》る油売《あぶらう》り、半田《はんだ》の町《まち》から大野《おおの》の町《まち》へ通《とお》る飛脚屋《ひきゃくや》、

村《むら》から半田《はんだ》の町《まち》へでかけてゆく羅宇屋《らうや》の富《とみ》さん、そのほか沢山《たくさん》の荷馬車曳《にばしゃひ》き、牛車曳《ぎゅうしゃひ》き、人力曳《じんりきひ》き、遍路《へんろ》さん、乞食《こじき》、学校生徒《がっこうせいと》などをかぞえあげました。

これらの人《ひと》ののどがちょうどしんたのむねあたりで乾《かわ》かぬわけにはいきません。

海蔵の母

「だで、道《みち》のわきに井戸《いど》があったら、どんなにかみんながたすかる。」

と、お母《かあ》さんは話《はなし》をむすびました。

三十|円《えん》くらいで、その井戸《いど》が掘《ほ》れるということを、海蔵《かいぞう》さんが話《はな》しました。

海蔵の母

「うちのような貧乏人《びんぼうにん》にゃ、三十|円《えん》といや大《たい》した金《かね》で眼《め》がまうが、利助《りすけ》さんとこのような成金《なりきん》にとっちゃ、三十|円《えん》ばかりは何《なん》でもあるまい。」

と、お母《かあ》さんはいいました。海蔵《かいぞう》さんは、せんだって利助《りすけ》さんが、山林《さんりん》でたいそうなお金《かね》を儲《もう》けたそうなときいたことをおもいだしました。

ひと風呂《ふろ》あびてから、海蔵《かいぞう》さんは牛車曳《ぎゅうしゃひ》きの利助《りすけ》さんの家《いえ》へ出《で》かけました。

うしろ山《やま》で、ほオほオと梟《ふくろう》が鳴《な》いていて、崖《がけ》の上《うえ》の仁左《にざ》エ門《もん》さんの家《いえ》では、念仏講《ねんぶつこう》があるのか、障子《しょうじ》にあかりがさし、木魚《もくぎょ》の音《おと》が、崖《がけ》の下《した》のみちまでこぼれていました。

もう夜《よる》でありました。行《い》ってみると、働《はたら》き者《もの》の利助《りすけ》さんは、まだ牛小屋《うしごや》の中《なか》のくらやみで、ごそごそと何《なに》かしていました。

海蔵

「えらい精《せい》が出《で》るのオ。」

と、海蔵《かいぞう》さんがいいました。

利助

「なに、あれから二へん半田《はんだ》まで通《かよ》ってのオ、ちょっとおくれただてや。」

といいながら、牛《うし》の腹《はら》の下《した》をくぐって利助《りすけ》さんが出《で》て来《き》ました。

二人《ふたり》が縁《えん》ばなに腰《こし》をかけると、海蔵《かいぞう》さんが、

海蔵

「なに、きょうのしんたのむねのことだがのオ。」

と、話《はな》しはじめました。

海蔵

「あの道《みち》ばたに井戸《いど》を一つ掘《ほ》ったら、みんながたすかると思《おも》うがのオ。」

と、海蔵《かいぞう》さんがもちかけました。

利助

「そりゃ、たすかるのオ。」

と、利助《りすけ》さんがうけました。

海蔵

「牛《うし》が椿《つばき》の葉《は》をくっちまうまで知《し》らんどったのは、清水《しみず》が道《みち》から遠《とお》すぎるからだのオ。」

利助

「そりゃ、そうだのオ。」

海蔵

「三十|円《えん》ありゃ、あそこに井戸《いど》がひとつ掘《ほ》れるだがのオ。」

利助

「ほオ、三十|円《えん》のオ。」

海蔵

「ああ、三十|円《えん》ありゃええだげな。」

利助

「三十|円《えん》ありゃのオ。」

こんなふうにいっていても、いっこう利助《りすけ》さんが、こちらの心《こころ》をくみとってくれないので、海蔵《かいぞう》さんは、はっきりいってみました。

海蔵

「それだけ、利助《りすけ》さ、ふんぱつしてくれないかエ。きけば、お前《まえ》、だいぶ山林《さんりん》でもうかったそうだが。」

利助《りすけ》さんは、いままで調子《ちょうし》よくしゃべっていましたが、きゅうに黙《だま》ってしまいました。そして、じぶんのほっぺたをつねっていました。

海蔵

「どうだエ、利助《りすけ》さ。」

と、海蔵《かいぞう》さんは、しばらくして答《こた》えをうながしました。

それでも利助《りすけ》さんは、岩《いわ》のように黙《だま》っていました。どうやら、こんな話《はなし》は利助《りすけ》さんには面白《おもしろ》くなさそうでした。

海蔵

「三十|円《えん》で、できるげながのオ。」

と、また海蔵《かいぞう》さんがいいました。

利助

「その三十|円《えん》をどうしておれが出《だ》すのかエ。おれだけがその水《みず》をのむなら話《はなし》がわかるが、ほかのもんもみんなのむ井戸《いど》に、どうしておれが金《かね》を出《だ》すのか、そこがおれにはよくのみこめんがのオ。」

と、やがて利助《りすけ》さんはいいました。

海蔵《かいぞう》さんは、人々《ひとびと》のためだということを、いろいろと説《と》きましたが、どうしても利助《りすけ》さんには「のみこめ」ませんでした。

しまいには利助《りすけ》さんは、もうこんな話《はなし》はいやだというように、

利助

「おかか、めしのしたくしろよ。おれ、腹《はら》がへっとるで。」

と、家《いえ》の中《なか》へむかってどなりました。

海蔵《かいぞう》さんは腰《こし》をあげました。利助《りすけ》さんが、夜《よる》おそくまでせっせと働《はたら》くのは、じぶんだけのためだということがよくわかったのです。

ひとりで夜《よ》みちを歩《ある》きながら、海蔵《かいぞう》さんは思《おも》いました。——こりゃ、ひとにたよっていちゃだめだ、じぶんの力《ちから》でしなけりゃ、と。